2009年06月19日

特定の年齢層に見られる骨折

小児、思春期以前に多い骨折 [編集]
若木骨折:柔軟性に富む若年者の場合は完全に骨が破断するのではなく、若木を折ったような状態になることがある。
骨端線損傷:成長期の骨端部においてズレなどが生じたもの。転位を認める場合は骨端線離開とも呼ぶ。
大腿骨骨幹部骨折
上腕骨顆上骨折
上腕骨外顆骨折
四季の山野草・高山植物情報
金魚知識
農業について
お茶の発祥
かわいい赤ちゃん
観葉植物広場
アロマの木
ガーデニング辞典
歴史飛鳥時代
自転車に乗って
博覧会
転勤
海図
過敏性腸症候群
アウトドア
柔道
メタボリックシンドローム
ミュージカル

オカルト

老人に多い骨折 [編集]
老人の場合、潜在的な骨塩量の低下による骨の脆弱化(骨粗鬆症)や筋力の衰えによる歩行不安定から、転倒などによって以下のような骨折を起こしやすい。

大腿骨頚部骨折
脊椎圧迫骨折
上腕骨外科頚骨折
橈骨遠位端骨折

主な骨折 [編集]

頭部・脊椎・体幹部の骨折 [編集]
頭蓋骨骨折
顔面骨折
眼窩骨折
顎骨骨折
下顎骨骨折
頬骨骨折
頸椎骨折
胸椎骨折
腰椎骨折
肋骨骨折
胸骨骨折
骨盤骨折

上肢の骨折 [編集]
鎖骨骨折
ショーファー骨折
上腕骨骨折
上腕骨上端部骨折(上腕骨外顆頚骨折)
上腕骨下端部骨折(上腕骨外顆頚骨折)
前腕骨骨折
橈骨骨折
橈骨骨幹部骨折(ガレアッツィ骨折)
尺骨骨折

2009年06月01日

台湾再解放連盟

台湾再解放連盟(たいわんさいかいほうれんめい、Formosan League for Reemancipation)は1948年2月28日に香港に於いて設立された、戦後台湾で初めて海外で組織された台湾独立運動組織。
観光 理容 人探し タロット 調査 老人 リフレ 墓地 アロマ 冠婚 検定 遊園地 専門学校 関東 養毛 行政書士 脂肪吸引 ビジネス 引越し アロマ 出会い 美容整形 美容 スクール お土産 学習 交通 インプラント 中国四国 エイジ SEM促進 生活 脱毛 求人募集 離婚 アロマ ブログ 美容整形 仏具 パソコン 外国語 外国語 宿泊施設 バスト 資産運用 養毛 エージェント 生命 美容整形 新築

1947年12月最初に国際社会で台湾独立の理念を標榜し、後年政治犯として逮捕される黄紀男は、二二八事件で中国国民党による逮捕を恐れ漁船で台湾を脱出、上海を経由して香港に逃れ、その地で廖文毅と合流し、翌年の二二八事件1周年記念日廖文毅、黄紀男、蘇新、蕭来福等の活動家により香港で「台湾再解放連盟」が結成された。連盟は海外初の台湾独立運動団体であり、廖文毅を主席に、黄紀男を秘書長に任命した。黄紀男によれば「台湾再解放連盟」の名称は廖文毅の兄である廖文奎が決定したものであり、日本より開放された台湾を、再度政治腐敗から開放する願いが込められた。

台湾再解放連盟の初期構成員は右派の廖文毅、黄紀男のみならず、左派活動家の蘇新、蕭来福等を包括していた。廖文毅は結成退会で「連邦論」を展開し、台湾は国民政府と連邦を成立させ、台湾の自治を獲得する意向であったが、黄紀男はこの構想に強く反対し台湾独立を主張、結局独立を基本方針に策定したと後年黄紀男は回送している。連盟成立後間もなく、蘇新ら左派活動家は連盟をと決別し。ここに「台湾再解放連盟」は台湾独立を強く志向する政治団体としての性格を整えた。

1948年9月1日、連盟が国際連合に対し主張した内容は下記のように台湾独立を明確に主張している。

台湾と韓国は同等の待遇を受けるべきであり、アメリカの援助の下独立する。
国連は1945年以降国民党が台湾で行なった圧政と台湾人虐待を調査すべきである。
台湾人は一つの複合民族であり、近隣国家との政治関係は存在しない。
50年の日本統治時代を経て台湾は講和会議での代表権を有し、台湾を一不動産として処理し、台湾人の利益を損なってはならない。
台湾人が少ない香港での活動に限界を感じた廖文毅は1950年2月に日本に渡り、日本において台湾独立運動を推進することとなった。


2009年04月29日

字訓の字音化

「奥」は漢音「オウ(アウ)/イク(ヰク)」、「早」は漢音「ソウ(サウ)」で、「奥意」「奥地」の「オク」、「早急」「早速」の「サッ」という読み方は、それぞれ字訓「おく」、「さ‐」(「早乙女」「早苗」)に由来する。「オク」、「サッ」は「奥」、「早」の慣用音と認められている。

ぜん息・美容整形関連女性の健康検索エンジン
飲料水・教材関連ショッピングカートサーチ
ベヘルツト学習対策総合
ベルハウス トラベル情報
審美歯科・豊胸関連美容全国通信検索エンジン
投資・SEM促進関連経済ガイド
探偵・旅行関連くらしのお手伝い情報
薬学・アレルギー関連ようこそ健康総合
墓地・ペット関連通販百貨サーチ
アリババ教育対策サーチ

従来、上記のようなはっきりしたものでなくても、呉音・漢音・唐音の体系からはずれるものはすべて慣用音としてきたが、最近ではこれを見直す動きがある。特に呉音はきっちりした体系をもつものではないにも関わらず、学者たちが自ら立てた体系に合わないものをすべて慣用音に回してきた経緯がある。最近では、これを仏典に注記されている漢字音をもとに呉音に戻す立場もある。また清音・濁音が違うだけで慣用音に回すといったこともなされてきたが、もともと日本漢字音が中国音の清濁の区別をきっちり反映しているとは言い難く、これにこだわるべきではないとの指摘もある。このように慣用音の認定にはいまなお困難な問題を多く有しており、漢和辞典によって微妙な差異を生んでいる。

2009年04月14日

宣帝 (漢)

宣帝(せんてい)は前漢の第9代[1]皇帝。初め民間に育ち霍光に擁立されて皇帝に即位した。

武帝の曾孫で戻太子劉拠の孫。父は戻太子の子・悼皇(史皇孫)劉進。生母は王氏である。

前91年、巫蠱の獄により、曾祖母(戻太子の母)の皇后・衛子夫、祖父、祖母の史氏、父の史皇孫、母の王氏、兄と姉が処刑され、生後間もない劉病已は投獄されたが丙吉により養育され、恩赦により釈放されると病已は民間で育てられた。やがて掖廷での養育と改められた際に、掖廷令の張賀(張安世の兄)が病已の後見役となり、張安世の息子・張彭祖が学友となり、長安郊外の尚冠里に居した。

前74年、昭帝が崩御、昌邑王・劉賀が一時即位するが品行不良を理由に廃立されると、霍光等の推薦により皇太后(上官氏)の詔を受け、まずは陽武侯に封じられて間もなく即位した(宣帝)。

昭帝崩御から廃帝賀の廃位を経て、宣帝の即位に至る政治動向は霍光の主導によるものであり、政局は引き続き大司馬大将軍である霍光に委ねられた。

前69年、霍光が死去すると拡大しつつあった霍氏一族の権力、特に軍の指揮権を徐々に剥奪し外戚の許氏らの子弟に与えた。これに反発した霍光の遺児が反乱を計画すると、それを理由に霍氏一族は処刑されている。この外、反乱成功後に帝位を簒奪する予定であった大司馬霍禹は腰斬の刑、皇后の地位にあった霍氏(霍光の娘)も廃位して幽閉し、霍光の死から2年後に親政を開始した。

政策 [編集]
親政後の宣帝は法家主義的政治信条に則り、減税や常平倉の設置、国民への爵位の授与、中央(中書を通じての皇帝への直接の上奏と尚書の権限の縮小)と地方(地方行政を県中心から郡中心へ移行)での行政改革、犯罪取締りのための刑罰の強化といった、民力を休養させつつ中央政府の権力強化を図る内政重視政策であり、これらの政策の結果、武帝以降の国内の疲弊を緩和させることに成功した。これらは民間で育ち民衆の実情を知る宣帝ならではの施策であった。

一方、外交面では烏孫と連携し西域に進出、匈奴を弱体化、分裂化させ、前51年には匈奴の呼韓邪単于を降伏させるなど、一時期弱体化していた漢朝の国勢を復興させることに努めた。これら内外政治における成果から、宣帝は前漢中興の祖という評価を受けている。しかし、中書を通じての直接の上奏は、中書の任にあたった宦官の権力を強化させる原因になり、元帝の時代には宦官と外戚が連携し政治に大きな影響を及ぼす一因となったことは否めない。

現実主義者であったため、理想主義、懐古主義である儒教を嫌い、儒教に傾倒する皇太子(後の元帝)とは反りが合わず廃嫡を考えた事があるが、元帝に後嗣が生まれたことを理由に廃嫡を見送った。

逸話 [編集]
儒者から配膳の際の肉料理の配置を古の作法に戻して欲しいと要請を受けたとき、懐古主義で些末な事を進言する儒者を疎み、更に昔は人は料理を手づかみで食べていたがそれに戻せばどうかと返答し儒者をやりこめた。

宗室 [編集]
后妃
共哀許皇后 - 名は平君。昌成君、平恩侯・許広漢の娘
霍皇后 - 名は成君、霍光の末娘
王皇后 - 王奉光の娘
張婕妤
衛婕妤
華婕妤
公孫婕妤

元帝・劉奭
淮陽憲王・劉欽
中山哀王・劉竟
東平思王・劉宇
楚孝王・劉囂

宣帝が登場する作品 [編集]
加藤四季『お嬢様と私―たなぼた中国恋愛絵巻』:主人公のひとりで、下層貴族の屋敷で働く召使いとして登場。お嬢様である許平君の目に余るじゃじゃ馬ぶりを半ば呆れ顔で見守っていたが、ひょんなことから結婚することになってしまう。
白井恵理子『常闇の宮 黎明の星』(『魔境の扉 飛蝶の剣』収録):妻・許昭君を愛する心優しい皇帝として描写されている。

ダイバ いそべ シーアル ミュート メドレー チェンジ プロミ らんぶー キンシ トラッ ライター リモート サモエー セーブル マットレス ピナツボ ママ 大莢種 ゾーン デーモン ラミネート かむかむ ユー わらび リュージュ ネーション ターバン プリス ザック ドラドン リロート かみのく トーク フェナ メンター マトン ステビア リペア スナップ ツイスト ズー シング おにぎり デタント ほくとし ファイ マダム セオリ フィット マガダ

2009年03月30日

水着少女

『水着少女』(みずぎしょうじょ)は、テレビ東京で2004年1月5日から2005年3月30日まで放送されていたバラエティ番組である。関東ローカル放送であったが、開始から2004年3月末までテレビ愛知、テレビ大阪でも放映されていた。ナレーションは三村ロンド。 既に成人へと達した、明らかに「少女」と呼び難き女性タレントさえもしばしば出演していた為、少女の一語に殊更の関心を抱いている場合、大いなる落胆と義憤をもたらす可能性を内包している。

水着ハウス [編集]
毎週3?4人の女性アイドルが「水着ハウス」と称する家(都内のマンションの一室)を訪れ、水着に着替えて本を朗読したり、お菓子を食べたり、ゲームをしたり、手紙を読んだり(『おしゃれカンケイ』(日本テレビ)の1コーナー「16小節のLOVE SONG」のパロディー)と様々だった。ルールとして、ポラロイド写真を撮ることが義務付けられており、撮った写真は番組ホームページに掲載された。

水着ハウスには岩佐真悠子やほしのあき、山崎真実、小阪由佳、川村ゆきえ、青木小明(現・小明)、喜屋武ちあき、大久保麻梨子(現・大久保麻理子)といった現在もグラビアなどで活躍するアイドルや、堀口としみ、内田さやか、水谷さくら、福愛美、都築あこ(現・つづきあこ)、番ことみ、渋谷千賀といったレースクイーンも出演していた。

番組末期には表ハウスと裏ハウスに分けられ、表ハウスにはアイドルの卵といえる無名タレントが、裏ハウスには蒼井そらや、春菜まいといったAV女優や、青木りんなどの着エロアイドルが水着を着て出演していた。

アイドル水泳大会 [編集]
水着ハウスとは別に毎週5?6人のアイドルが出演。番組開始当初は特撮戦隊もののパロディーが登場、プールに浮かんでいる犬のぬいぐるみを救出するゲームコーナーだったが、後に競泳や障害物競走、騎馬戦などに変更された。優勝したアイドルには金のビキニがプレゼントされたが、負けたアイドルには臭いのきつい牛乳を飲まされるといった過酷な罰ゲームがあった。

ミニコーナー [編集]
この他にもアイドルの心臓音を聴かせるという「アイドルの心臓ON!」というコーナーもあった。番組末期はアイドルの新作DVDを紹介するコーナー(進行役はかわい瞳)だった。
チップ ドミナ シェルパ トースター ダフる日本 ぶんたん シンクロ ドラバ ミスジャ スフレ デネブ バラン フレスコ ドンマイ モロヘイヤ ハンド リムパック バルナ ジュンブ 有明の月 リバランス リフィル 聖護院 ハイカ デフレー スライム 宵月の宴 アシスト パイオニア ハルビ トータル パード サラダ サーチ恋道 チェリ エイトビー ミルト ユーティ ランド ディー ゲーセン 世界の窓 スト チアナ タントラ スタンス 宝船 ヘアー ブルドッ フリーサ

その後 [編集]
2004年4月からは水曜日に移動(「Se-女!2」の開始に伴うもの)。2005年3月に番組は終了した。

最終回(2005年3月30日放送)で番組スタッフの1人が「学生時代に見たギルガメッシュないとのような番組を作れたらいいなと思って作ったのがこの番組だった」と告白した。因みにこの番組を立ち上げた佐藤哲也は、ギルガメッシュないとのスタッフの1人だった。

2009年03月14日

トルン

トルン(Toruń、ドイツ語:Thorn)は、ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置する工業都市の都市で、クヤヴィ=ポモージェ県の県議会所在地。1998年までは旧トルン県の県都であった。1997年に旧市街が世界遺産に登録された。

トルンはブィドゴシュチュからヴィスワ川を遡り東南東に40kmほどのところにある。2003年にはブィドゴシュチュ医科大学がトルン大学に統合された。2006年10月16日、フジテレビ系の番組「あいのり」で旅したものを放送した。
1226年の記録には「Thorn」として登場し、1466年ごろの文書には「Thorun」、「Turon」、「Toron」、「Turun」、「Thoron」などという名で記述されていて、15世紀以降は現在のポーランド語名称「Toruń」となっている。 トルンの名称の起源についてはいくつかの説がある。

十字軍によって樹立されたエルサレム王国に「Toron」という町があり、この名に由来した「Thorn」という町をチュートン騎士団がかつてトルンがあった場所(古トルン)の近くに建設した。
ポーランド語で「道」、「軌道」あるいは「(水の)流れ」を意味する「tor」に由来する。つまり「流れ(沿い)の町」、「ヴィスワのほとりの町」を意味する。
「Toron」という人物の名前に由来している。つまり、「Toronの町」を意味する。
「tarnina(りんぼく)の町」を意味する「Tarnów」に由来する。Tarnów という名の町はポーランド各地にある。これがのちにドイツ語化して「Thorn」となり、ふたたびポーランド語化されて「Toruń」となった。
北欧神話の神、トールに由来する。
しかし、「Toruń」にも「Thorn」にも語源的意味はないとする主張もある。

チュートン騎士団はトルンの名をたいてい「Thorun」と綴り、のちにトルンがポーランド王国領に入るとラテン語での文書には「Thorun」、「Thorunium」、「civitas Thorunensis」、「civitas Torunensis」と記述されるようになった。その後「Thorn」となり、第二次世界大戦後にポーランド領に復帰すると、公式な名称は「Toruń」になった。


歴史 [編集]
紀元前12?11世紀 ? ラウジッツ文化時代に要塞として建設
8世紀?12世紀 - ヴィスワ川の渡し場の近くに存在
1230年 - 古トルンに要塞が建てられる
1233年12月22日 ? 都市としての権利を獲得
1236年 - 現在トルンがある場所へ移動
1264年 - 新市街の建設
14世紀?15世紀 - この時期トルンは大いに発展して重要な商業中心地となり、ポーランドで最大規模の都市のひとつとなる。
1410年 - タンネンベルクの戦い。ドイツ騎士団、ポーランド・リトアニア連合軍に対し大敗を喫する。
1411年 - 第一次トルンの和約。ドイツ騎士団とポーランド・リトアニア連合が和約。
1440年 - プロイセン同盟に加盟。
1454年 - ドイツ騎士団に対する新教徒の反乱をきっかけに、三十年戦争が始まる。 騎士団の城を破壊し、新市街と旧市街を連結する
1466年 - 第二次トルンの和約 。ドイツ騎士団を含むプロイセンが事実上ポーランド王国支配下に入る。
1473年 - ミコワイ・コペルニク(コペルニクス)がトルンで生まれる
1500年 - 聖ヨハネ大聖堂に「Tuba Dei」の鐘が吊るされる。
16世紀 - 住民の大半がプロテスタントに改宗
17世紀 - スウェーデンとの北方戦争で街が荒廃する
1724年 - 「トルン騒動」が起きる
1793年 - プロイセンに併合される
1807年 - ティルジット条約によりワルシャワ公国に編入
1815年 - ウィーン会議の決定によりふたたびプロイセン領になる
1919年 - ポーランド領に復帰
1939年 - ドイツの占領を受ける
1945年 - ポーランドの独立回復。大学を誘致
アイス スノー ランブ トリック フレデ マーチ シュテム マイウェイ ショナリー トーゴ ミクシィ スロット キール ビターオ キニン バイテク スタチン マジソン ピンドル オスカー 夏のロ ティハリー シンフォ ピョン ウムドン オマーン ミートボガ トッポッ ニズム スタン ベンジャ ダイヤ ランマ 大正琴 ガザ二ア ダイマー コットン ハラシ 道のむこ ショア マルク だいとう クーポン ピューリ チダー キシリ アンゴ ゆかいな スター ハニー

地理 [編集]
ワルシャワからの距離はおよそ180kmで、ヴィスワ川の中流に位置する。

2009年02月26日

ブラック・ジャック (テレビアニメ)

「シャチの贈りもの」(原題: シャチの詩)
トリトンは死亡しない。
「奇跡の腕」(二つの愛)
明の死亡が事故から火災に変更。
「偽りのウェディング」(かりそめの愛を)
ミチルは結婚していない。
「文化祭の用心棒」(帰ってきたあいつ)
ジョーズが死亡しない。
「春一番」
角膜の提供者の死因が殺人から事故に変更。
「ナダレという挑戦」(ナダレ)
ナダレに襲われた人は死亡していない。
ナダレは死亡せず森に消える。
「そろばんの天才」(なんという舌)
サリドマイドから指欠損症に変更。
「ブラッククイーン」
クリスマスからフィアンセの誕生日に変更。
「岬の家は未完成」(やりのこしの家)
棟梁の白血病の原因が、原爆による者と名言されていない。
この様に、ゴールデン帯で放送するには厳しい表現が抑えられているのが多々である。
写楽(しゃらく):佐藤ゆうこ
放送ではシャラクと表記された時期がある。
BJらが住む町の中学に通う少年。ピノコの遊び仲間。坊主頭で額に絆創膏のいでたち。
元は同じ時期に漫画が連載されていた手塚作品『三つ目がとおる』の主人公写楽保介(しゃらく ほうすけ)。ネーミングはシャーロック・ホームズから。
和登(わと):小野涼子
見た目はかわいいが気が強く、剣道部の主将を務める正義感の強い女子高校生。写楽の姉。いつも、写楽の事を心配している。
こちらも元は『三つ目がとおる』の登場人物和登千代子。ネーミングはホームズの相棒、ワトソンから。
本間久美子(ほんま くみこ):川瀬晶子
本間丈太郎の娘。哲が経営する喫茶店「Tom」に住まわせてもらっていて、ウェイトレスのアルバイトもしている美少女。和登とは高校の同級生で友人。原作では『満月病』のみの登場(この時の名前は「山下クミ」で名字が丈太郎と違う)。
ラルゴ:石井真
ブラック・ジャックの家で飼われているメス犬。原作では『万引き犬』に登場し、地震で崩れたBJの家の下敷きとなり死んでしまうが、アニメでは手術を施され生き延びている。普段はおとなしいが、近くにいる人間に迫っている危機を本能的に察知することができる。
犬持(けんもち):中庸助
写楽と和登の父親。外国で遺跡の発掘作業をしている。
『Karte38: 未知なる者への挑戦』に登場。
こちらも元は『三つ目がとおる』で写楽の養父。
哲(てつ):富田耕生
喫茶店「Tom」のマスター。本間丈太郎への恩義から、その娘・久美子を家に住まわせている。元手品師。原作でも指を切断されたスリ「哲」として登場するが、和登サンや写楽を見守るキャラクターはやはり『三つ目がとおる』の中華料理屋のヒゲオヤジ。
オープニングナレーション:立木文彦
※クレジット無し
『Karte46: 文化祭の用心棒』にはhiroが本人役で特別出演し、2代目ED「Clover」を歌った(手塚アニメに本人役で出演する例はこれが初)。また『Karte52: 一瞬の目撃者』は原作では手塚治虫本人が拘引されても警察署で漫画を描き続けるジョークシーンがあり(これは手塚作品なら珍しい事ではないが)それに因んでアニメでは監督の手塚眞(声優も本人)、チーフプロデューサーの諏訪道彦、プロデューサーの斎藤朋之、脚本の大和屋暁の名前のキャラクターが登場。その他アニメ版『美味しんぼ』主役の荘と井上を再共演させたり (Karte55)、手塚眞自身がファンという映画監督デヴィッド・クローネンバーグに因んだ人物を登場 (Special Karte) させるなど、原作にも時折登場したようなこだわりや遊びも見られる。
プライス ルックス オレン クリーム スペキ バンク ふるさと ハナナ オリジナル トップトラ オーロラ ストロー 暮らし ギング フーテン ビバレッ スーパー ション プロット とびいろ 白梅便利 すその ヒヨド メゾソ 京いも ソウチク ハンド ブラック デュアル みやこ トリマー ハシッシ カプセ ドッグ レンゲ アドオン きつね パープル 赤いろうそく ファイト プロフ ファンファ タックス キャル イグル あまぎ コメント いなば 検索ゆずゆ ファッ

本編終了後のコーナー
ピノコの日記(Karte00?Karte10)
本編での名ゼリフをピックアップするコーナー。
Karte: NG(Karte11?)
本編の制作をドラマの撮影とみなし、その撮影中に起きた(という設定になっている)NGやハプニングを紹介するコーナー。DVDには未公開NG集が収録されている。携帯サイトでも1話につき3本分のNGが配信されている。

制作エピソード
アニメ版監督の手塚眞公式ブログにてアニメ制作作業の進捗状況が公開され、アフレコ前には完成済みのビデオを渡して予習してもらっている。1X話放送時点で既に4X話の脚本に取りかかっているなど、父親である手塚治虫が低予算でアニメ制作を請けたことから始まる、アニメ製作現場における悪しき習慣を正そうとする姿勢が見られる。

作画監督によっては急にピノコの顔が可愛くなるなど(『Karte22: ピノコ大人計画』はその頂点にある)の作画がバラバラになる事があるが、これには明確な理由がある。他のアニメーション作品であれば、(普通は一人、作品によっては複数人物)キャラクターデザイン担当者によるキャラ作画設定に従って、作画監督は作画・修正を行うものであるが、このアニメでは毎話ごとにキャラクターデザイン担当者が変わるシステムになっていて、主に各回の作画監督担当者が兼任する事が多い。これはストーリーの内容に合わせた画風にする事が狙いとの事である。例えば、劇的なストーリーや主に緊迫感に満ちたリアルさを要する話(『Karte43: ちぢむ!』など)などの場合には、杉野昭夫や内田裕が担当するなど。各個人のオリジナリティを含んだキャラクターデザインを起用することで、性格的にも変化に富んだ、明るいBJや少々大人びたBJなど、それぞれのストーリーに対応できる仕組みになっている。

こういった前衛的な工夫は評価できるものの、原作でのストーリーを忠実に再現せずにハッピーエンド(原作では死ぬことになっている人物・動物を生き延びさせる等)に終わらせてしまうことについては手塚眞自身は「現在の社会情勢を考慮して(人が死ぬような)結末やストーリーを変更せざるを得ない描写があるため」と言った趣旨の弁解をしている。

京都のダイダロス製薬会社で爆発事件が起きた。BJは友引警部によって留置されていたが、負傷した患者を治す代わりに放免してもらい、そこで瓦礫にはさまった幼児を危機一髪で助ける。

それから1か月後、BJは爆発事故で母親が危篤状態だという兄妹から依頼を受ける。一方、その母親はドクター・キリコに安楽死を依頼するが、そこへBJが駆けつけ患者の手術を開始。手術は無事成功する。だがその後、その親子が事故死したと聞かされBJは絶叫する。

ショックを受けたBJはメスを鍛えてもらうため、針師・琵琶丸と共に刀鍛治の馮二斉(ひょうじさい)を訪ねるが、直後に馮二斉は医の道を説く遺言を遺し死んでしまう。BJはその遺言の真の意味を理解できず、絶望感を深めていった。

そんな中、BJはテロ組織「イカロスの亡霊」のロックらによってイカロス島に連れて行かれる。そこには「サタン」という細菌に感染した患者、そしてキリコがいた。患者をめぐり、BJとキリコは命をかけた対決を行なう。

登場人物
ドクター・キリコ:鹿賀丈史
ロック:石垣佑磨(女装時:ゆかな)
イカロスの亡霊のメンバー。両親を大手製薬会社ダイダロスによって殺されたため、ダイダロスを憎んでいる。
実はミスターグッドマンがゴアであったことを知り、ゴアとの戦いの末、ゴアが隠し持っていたナイフが彼の腹部に刺さったが、それでもミドリのために血液を提供して死んでしまう。
ミドリ:平山あや
ロックの婚約者。イカロスの亡霊とともにイカロス島を訪れ、細菌兵器『サタン』によって感染してしまうが、ロックの血液によって助かる。
ピック:笹沼晃
ダボリング:江川央生
ギラ:深見梨加
イカロスの亡霊のメンバー。
ゴア:大和田伸也
ダイダロスの会長。
表向きは難病の根絶を目標に、世界中の病院や研究施設に多大な支援をしているが、実は裏では『イカロスの亡霊』の黒幕、ミスターグッドマンでロックの両親を殺した張本人でもあった。しかしロックに知られたため、ロックを隠し持っていたナイフで刺したが、ロックがバタフライナイフで彼の胸部を刺した事が致命傷となり、キリコによって殺されてしまう。

2009年02月09日

内乱の一世紀(ないらんの1せいき)

内乱の一世紀(ないらんの1せいき)とは、共和政ローマ後期における、紀元前133年のティベリウス・グラックスとローマ元老院(セナトゥス)の対立によるグラックスの死から、紀元前27年にオクタウィアヌスが「アウグストゥス」の称号を得て実質的に帝政がはじまるまでのおよそ100年をさす。
パラグラフ マンツ 東京ドド セダン キーボ オープナ ランドスケ フィギュア オシロ きゅうじ カオス トムソ ブック ゾンホルル うみがめ ピリン ココア ナイーブ デメリット ロバスト プレー けいこう マチネー メサ スクリー Sぎさん オフィビ ムスカリ スイーツ メタン デンパ アベバ 羽衣便り 五番街 パンケ じゃが 楽しむ トロイカ 万華鏡 サラダ ギネ バカンス ウォッ とよころ スタイロ ジャスト パワーシフト イクラ 紅の翼 レッテ

ローマの起源は、紀元前8世紀中ごろにイタリア半島を南下したラテン人の一派がテヴェレ川のほとりに形成した都市国家ローマである(王政ローマ)。当初エトルリア人による王政下にあったローマは紀元前509年、この異民族の王を追放して貴族による共和政を始め、2名の執政官(コンスル)を指導者として、定員300名の元老院が大きな力を持っていた(共和政ローマ)。紀元前494年には、護民官(トリブヌス・プレビス)の制度も整えられ、平民(プレブス)も政治に参加していった。

都市国家ローマは次第に力をつけ、中小独立自営農民を基盤として編成された重装歩兵部隊を中核とする市民軍の軍事力によってイタリア半島の諸都市国家を統一(紀元前272年)、さらに3回にわたるポエニ戦争によってカルタゴを降して地中海に覇権を伸ばし、広大な領域を支配するようになった
しかし、共和政ローマの統治機構は、都市国家のそれから生まれたものであり、広大な領土を統治するのにふさわしいものではなかった。没落した農民が多数ローマに流入して、都市ローマの人口は膨れあがり、貧しい住民はしばしば饑餓に陥った。無産者となった彼らはしばしば「パンとサーカス」を要求した。そのいっぽうで、征服地の拡大とともに、ローマは征服地の一部を公有地としつつも、貴族にその占有を許可した。貴族は、属州(プロウィンキア)からの安価な穀物や果実の流入と奴隷労働力の流入によって没落してゆく農民の土地もあわせて大農場経営(ラティフンディウム)をおこなった。属州では、徴税請負人(プブリカーニ)が州総督とむすんで国家に納める税以上の負担を属州民から搾り取った。また、従来は土地所有農民が軍隊の中核をなすというローマ軍制も危機に瀕していた。重装歩兵にかわって無産者や属州民の傭兵が軍の主力をなすに至ったのである。元老院は領土が拡大されるたびに制度改良をおこなって、このような諸問題に対処してきたが、元来が都市規模の国家を統治するためのシステムを踏襲してきたため、そうした改革にも限界があった。

展開
グラックス兄弟の改革
上述のように、ローマの拡大は反面ではさまざまな「ゆがみ」をもたらしたが、硬直化した元老院はこれに対し制度の抜本的改革ではなく、軍隊を動員しての抑圧という短絡的な手段で応えた。紀元前139年にローマを揺るがす大反乱(シチリア島奴隷反乱)が起こる。また、紀元前133年から紀元前130年にかけてはペルガモン王国の自称「王」アリストニコスが、そのローマ支配に対し反乱を起こし、奴隷や貧農に呼びかけて拡大した。これらの騒乱自体は鎮圧されたもののローマ共和政は明らかな行き詰まりを見せ始めていた。

腐敗した共和政を改革すべく、民衆派(ポプラレス)のティベリウス・グラックスが護民官としてセンプロニウス農地法(リキニウス法)を実行に移して、大土地所有の制限や無産農民の土地分配を図るなど社会再建にむけた制度改革を推進したが、その過程で元老院と対立し、紀元前133年、志半ばにして支持者たちとともに非業の死を遂げた。ここに、ローマ市で市民同士が血を流して争う事態となり、これよりほぼ100年間、ローマでは「内乱の一世紀」と呼ばれる内乱状態がつづくこととなる。紀元前121年、兄の志を継がんとした弟のガイウス・グラックスもまた元老院と対立し失脚、数千人といわれる支持者たちもまた処刑された。このグラックス兄弟の死と改革の頓挫によって共和政ローマの混迷は決定的なものとなった。それは、法の無力、実力時代の到来を示すできごとであったのである。

マリウスの軍制改革と同盟市戦争
マリウス紀元前2世紀の終わり、軍人出身の執政官で民衆派のガイウス・マリウスは上述した「ゆがみ」の一つである軍の弱体化と自作農の没落に対処すべく軍制改革をおこない、軍の質的向上と失業農民の雇用確保に成功した。またマリウスは自らの改革によって精強さを取り戻したローマ共和国軍を率い、ゲルマニアから南下して来ていたキンブリ、テウトニらゲルマン人の軍勢に大勝(キンブリ・テウトニ戦争、前113-前101年)、ヌミディア王ユグルタがローマ高官を買収し北アフリカでおこした反乱(ユグルタ戦争、前111-前105年)にも勝利して、ローマの国防力再建に成果を挙げた。

しかし軍内部でイタリアの同盟市民とローマ市民との待遇差が消えたため、彼らは同じローマを構成する住民として市民権の付与を求め始めるようになり、これを既得権益が失われると考えた元老院とローマ市民が拒絶したことでイタリア半島内の諸同盟市の大反乱を引き起こすこととなる(同盟市戦争、前91年-前88年)。同盟市戦争は、マリウスの副官であった閥族派(オプティマテス)のルキウス・コルネリウス・スッラが元老院の了解のもと、イタリア半島内の諸都市住民の市民権付与を約束して鎮定されたが、軍を構成する兵士が市民兵から職業軍人に代わったことで、次第に元老院やローマ市よりも直近の上司である将軍達に忠誠心を抱くようになり、これは後に起きる内乱の要因のひとつともなっていった。

マリウスとスッラによる内乱
スッラ紀元前88年、ついにローマ国内での内部対立は、閥族派のスッラと民衆派のマリウスの軍事的衝突という内戦状態に発展し、ローマの混迷は頂点に達した。スッラは、与えられた軍勢を率いてローマに攻め上ったが、よもや執政官が首都を攻めると考えていなかったマリウスらはあっさり敗北、マリウスはローマから脱出し、護民官スルピキウスは殺された。

マリウスを追い出し、ローマを制圧したスッラはマリウスら民衆派を「国賊」とし、スルピキウス法を無効とした。そして新たに執政官となったルキウス・コルネリウス・キンナとグナエウス・オクタウィウスに後事を託して、ギリシアまで攻め込んできていた小アジアのポントス王ミトリダテス6世の軍を討つためにローマを発った(第一次ミトリダテス戦争、前88年-前84年)。

しかし、その直後、キンナは閥族派の仮面を捨てて民衆派支持を明らかにする。民衆派復権に尽力したキンナだったが同僚のオクタウィウスに阻まれ、武力衝突の結果、ローマから追放された。そこへ兵を率いたマリウスが帰還し、ローマは再度民衆派の手に落ちた。首都を制圧したマリウスはスッラ派の要人のみならず、自分の追放に「反対しなかった」という理由で元老院議員達や騎士階級の人々までもを血祭りに上げた(マリウスの虐殺)。

スッラの帰還と終身独裁官就任
ミトリダテス6世を表した硬貨紀元前86年、マリウスは7度目の執政官となったものの直後に死去し、新たに民衆派の指導者となったキンナは事実上の独裁制をしいた。キンナはミトリダテス6世の討伐のため「正規軍」を同僚のフラックスに託して派遣。スッラはミトリダテス勢力と「正規軍」の両方に挟撃されて窮地に陥ったが、ミトリダテス軍に対して2度にわたり大勝した。ミトリダテス6世はスッラの恫喝により講和に応じ、キンナが派遣した「正規軍」はスッラの策謀によって戦わずしてスッラの軍勢に吸収された。これに危機感を覚えたキンナはスッラ討伐のための軍団を集めたが、その過程で事故死した。こうしてスッラは妨害されることなくイタリアへ上陸した。しかし、スッラによる報復を恐れた民衆派が必死になって抵抗したため、ローマへの帰還はさらに2年の歳月を要した。

マリウスとキンナなき後の民衆派は、その後もスッラに抵抗したものの既にスッラの敵ではなく、紀元前81年、ローマを奪還したスッラは終身の独裁官(ディクタトール・ペルペトゥア)に就任。元老院の定員を600名に増員したほか、その権限を強化し、軍制の改革を断行するいっぽうで民衆派を大規模に粛清した。この6年にわたる内戦でローマの犠牲者は数万人におよんだ。

第一回三頭政治とカエサル
スパルタクスの反乱動乱の時期を経て、ローマは次第に元老院支配体制から有力な個人による統治へと性質を変化させていった。

ユリウス・カエサルスッラの死後、ローマは紀元前73年から紀元前71年にかけて剣奴スパルタクスの反乱が起こったが、それを鎮圧したローマ一の大富豪でエクィテス(騎士)出身のクラッスス、ローマ軍の重鎮でポントス王国の反ローマ戦争(第三次ミトリダテス戦争、前74年-前63年)を破ってミトリダテス6世を自殺に追いこみ、紀元前63年にセレウコス朝シリアを滅ぼしてシリアとパレスティナを平定したグナエウス・ポンペイウス、そしてマリウスの甥として民衆派を指導していたユリウス・カエサルが台頭していた。

紀元前63年にはカティリナによる国家転覆計画が発覚したが、執政官マルクス・トゥッリウス・キケロは小カトーの助力を得て首謀者を死刑とする判断を下して元老院より「祖国の父」(pater patriae)の称号を得ている。

元老院議場でカティリナを弾劾するキケロ(19世紀マッカリによるフレスコ画)いっぽう元老院は、有力者であるポンペイウス、カエサル、クラッススの活動を抑えようとしたため、紀元前60年、3人はたがいに密約をむすんで国政を分担する第一回三頭政治が実現した。

紀元前60年にはポンペイウスとクラッススが、紀元前59年にはカエサルが執政官となり、ポンペイウスはヒスパニア、クラッススはシリア、カエサルは未平定のガリアの特別軍令権を得て、それぞれを勢力圏とした。ポンペイウスは東方で戦った自分の兵士への土地分配をおこなった。クラッススはパルティアとの戦争を受けもったが、紀元前53年のカルラエの戦いに破れてカルラエで戦死し、その首級はオロデス2世のもとに送られた。紀元前58年から紀元前51年にかけてのガリア遠征の成功によって名声を挙げたカエサルには、ガリア統治権がゆだねられた。

カエサルの暗殺クラッススの死後、カエサルの台頭を危険視したポンペイウスは、それまで対立していた元老院と妥協し、ポンペイウスとカエサルは完全に対立するようになった。元老院はポンペイウスと結んでカエサルを「公敵」であると宣言、それに対しカエサルは紀元前49年、ルビコン川をわたってローマを占領した。ファルサロスの戦いを経た後、エジプトに逃れたポンペイウスはプトレマイオス13世の側近により殺害された。

ポンペイウスを追ってエジプトに着いたカエサルはクレオパトラ7世をプトレマイオス朝の王位につけて、圧倒的な民衆の支持を背景にローマの権力を一手に収めると紀元前46年に終身独裁官となり、属州の徴税請負人の廃止、無産市民の新植民地市の建設、ユリウス暦の制定など急進的な政治改革を推進した。大がかりなモニュメントがつくられ、イベントも開催された。

しかし、こうした大胆な改革と専制的な独裁は元老院を中心とする国内の共和派の反感を買い、紀元前44年反カエサル派の元老院議員たちによって暗殺された。

第二回三頭政治と帝政のはじまり
カエサルの姪の息子にあたり、事後を託されたガイウス・オクタウィウス・トゥリヌスは、カエサルの腹心であったマルクス・アントニウス、カエサルの副官で最高神祇官のマルクス・アエミリウス・レピドゥスの助けを借りて反カエサル派の元老院議員を一掃した。3人は「国家再建三人委員会」を市民集会によって認定させて正式な公職として発足させた(第二回三頭政治)。

「アウグストゥス」の称号を得たオクタウィアヌス(大理石製)しかし、紀元前42年のフィリッピの戦いなどにより、永年の政敵キケロや、カエサル暗殺の首謀者ブルートゥス、カッシウスなどの共和派の巨頭が一掃されると、アントニウスとオクタウィアヌスのあいだで主導権をめぐって対立が深まった。紀元前40年にはブリンディシ協定が結ばれ、ローマの勢力範囲を三分することになり、このときアントニウスはヘレニズム世界、オクタウィアヌスは西方全域、レピドゥスはエジプトを除くアフリカ全域の統治を任されている。紀元前36年、シチリア島で、最後の反カエサル派でポンペイウスの次男セクストゥス・ポンペイウスとオクタウィアヌスとの戦い(ナウロクス沖の海戦)があったのち、レピドゥスはオクタウィアヌスの打倒を図って失敗、同年失脚した。

アントニウスとオクタウィアヌスの対立は、再び内戦へと発展した。オクタウィアヌスは、エジプトの女王クレオパトラと組んだアントニウスを、紀元前31年アクティウムの海戦で撃ち破り、翌紀元前30年にはアントニウスが自殺して「内乱の一世紀」とよばれた長年にわたるローマの混乱を収拾した。いっぽう300年つづいたプトレマイオス朝エジプトが滅亡、ローマに併合されて地中海世界の統一をも果たした。

オクタウィアヌスは戦争後の処理がすむと、非常時のためにゆだねられていた大権を国家に返還する姿勢を示したが、紀元前27年、救国の英雄となったオクタウィアヌスは元老院より「アウグストゥス(尊厳なる者)」という神聖な称号を受けた。自らは「プリンケプス」(第一市民)を名のったものの、事実上は最初の「皇帝」となり、カエサルの諸改革を引き継いでいくこととなった。帝政ローマのはじまりである。

結果
慎重なオクタウィアヌスは、すでに政敵がいないにもかかわらず、一度権力を返還し、元老院によって再び譲渡されるという形式をとり、「インペラトル・カエサル・アウグストゥス(Imperator Caesar Augustus)」の称号を許された。オクタウィアヌスは共和政の伝統のもとに合法的な個人支配を確立したのである。ここではじまった帝政ローマ前期の政治体制は元首政(プリンキパトゥス)と呼ばれる。オクタウィアヌスは、内乱後の秩序の回復に努め、ローマ市を整備して属州統治に尽力したほか、「市民は戦士である」という原則を復活させた。これにより「ローマの平和」という繁栄と安定の時代がもたらされるのである。

オプティマテスとポプラレス
以上みてきたように、「内乱の一世紀」はオプティマテス(閥族派)とポプラレス(民衆派)という対立の図式を基本として展開されてきた。

ポプラレス(populares)は、民会を自らの政治基盤とし、古代ローマ社会唯一の権力集合組織であった元老院の政治力に立ち向かおうとした勢力である。グラックス兄弟、マリウス、クラッスス、ポンペイウス、カエサル、そしてカエサル配下のオクタウィアヌス、レピドゥス、アントニウスがいる。ポプラレスたちの支持基盤は民会および市民集会にあり、プレブス達の歓心を買うため、自由ではあるが貧しい市民の社会保障や雇用に力を入れ、とくに無料でパンを配布するなど救貧活動を展開することが多かった。このほか、既存勢力に敵対したポプラレスはローマ市民権の拡大や軍団の私兵化によって自らの勢力の増強を図った。市民権の拡大は増加した新市民を自らの勢力とすることが期待でき、また私兵化した軍団は自身の政治目的実現のための実力となりえた。ローマ市民権を持つ自由民には人気が高かったが、既存勢力である元老院とは対立し、しばしば対抗権力として護民官の制度を活用した。カエサル暗殺後はポプラレス同士であるオクタウィアヌスとアントニウスの権力闘争となった。

オプティマテス(optimates)とは、こうしたポプラレスに対抗した人々をさした。元老院は「父祖の遺風」と呼ばれる伝統的保守的傾向の強いローマの政治風土のもと強い影響力を保持していた。既得権を有したノビレスを中心にポプラレスへの反対者は多く、これらの人びとは従来のローマの伝統の維持を求めた。したがって、軍の私兵化や元老院を凌駕する政治力を身につけようとする個人の台頭を警戒した。スッラやキケロが代表者である。

「内乱の一世紀」は、グラックス兄弟の改革の挫折より始まってオクタウィアヌスによる帝政開始で終わりを告げた。見方を変えれば、これは、ポプラレスによる元老院およびオプティマテスに対する挑戦と最終的な勝利への過程ととらえることも可能である。ただし、オクタウィアヌスの慧眼と周到さはこの内乱の性質と経緯をよく見定めていた。みずからへの権力集中が、決して君主政への逆行ではないことを行動であらわし、オプティマテスに属する人びとの不安と懸念をやわらげる配慮を示したのである。

2009年01月24日

ダイジョーブ!

ゲーム開始前の合い言葉は「ダイジョーブ!」(『仮面の忍者 赤影』の登場人物である少年忍者青影のお決まりのポーズ「だいじょうぶい!」をリスペクト。稲葉製作所(イナバ物置のメーカー元)のCMにかけたとも思われる)。コーナー最後にも「?ダイジョーブ!」と入る。
テロップは「忍法○」、ラウンドは手裏剣型のシルエットを囲み「潜入其○」(?14回)、「修練其○」(15回?)(○には漢数字が入る)となる。また最近ではお仕置きを受けたゲストについて辞書のようなテロップが出る。
ロール ラズベリ ジュニア つじばしゃ リンドウ ツーショット MIX サイバー ジオン ショート ネクトン タイムカプ 大和撫子 ダッフ マタニテ みなのがわ モットー アクア フレクター リッパ 新緑 ハイパー ひろさき ジョン 春夏秋冬 スライン じゅんぼ スンデ ピストル 大和 フィブロ はしげた カバロール ユーモア ネス メロデ イヌコ シリビン メラノ タニリ スパイシー 決意 はちりゅ ピンハ マテバ 飛騨紅 ルース べびーぽ テクス クロロキン

ラウンドによっては色やジャンルを固定することもある。ただし裏切り(後述)もOK。
負けたら罰ゲーム、と今までの企画を踏襲しているが、第1章ではあくまでも暴力ではなく健康に良い指圧であるため「職場や学校でやってもダイジョーブ」と公言している。
数取団と違い10回ごとの効果音や優秀な答え(GoodとGreat)に相等するものが存在しなかったが、2008年2月9日放送分より優秀な答えには「おみごと」や「あっぱれ」が青字と赤字で表示されるようになった。
数取団と違い、ルール管理はメンバー全員の申し合わせで行なわれている(数取団では山本が管理委員長を務めていた)。

裏切り
いきなり難しいお題を出し、後ろの人を斬り捨てること。七人のしりとり侍のキラーパス、数取団のブッコミとほとんど同意であるが、お題が固定されている場合、突然お題を変える時にも使われる。

例:お題が白いもので、ずっと白いもので来ているにもかかわらず『黒い○○』ときた時も裏切りとなる。

登場人物

メンバー
黒を基調とした『仮面の忍者 赤影』風の忍者装束を着ている。尚、ベルトには「彩」(いろどり)と書かれている。また、第1章では指圧中に時々ヅラが取れてしまうことがあった。 名前の隣の〔 〕内はツボ係になった回数で、その隣の( )内は将軍様にお仕置きされた回数。さらに、その隣の( )は、現在の負けた合計の数。

■赤兵衛:加藤浩次〔6回〕(5回) (11回)
仮面はかぶっていないがヅラ(髪型)は「赤影」風とも言えなくもない。
前の人のお題をそのまま言うことが多かったり「黄色い果物」をよく出す。
赤い列車を言いたかったが、「赤いラッシャ」と噛んで終わってしまった。つまり、彼が最初のツボ係ということである。2008年リニューアルされたあとも彼が最初に粉まみれにされた。
お題や答えを言う時に独特の言い方をすることがある。
ゲストの裏切りを最も受けている。(今までに四回裏切りにあっている)
第18回には遅刻をした(スッキリの生放送から向かっていたため。10時30分集合に文句をつけていた。ちなみにスッキリが終わるのは9時55分)。
第20回は緑吉がいないにもかかわらずに、まじめに綱引きをしなかったとして将軍様からバックドロップの刑を受けた。以降将軍様から目をつけられている。
■黄太郎:濱口優〔5回〕(1回) (6回)
赤兵衛の影響で何回も同じお題に答えなければならないことがある(例、黄色い果物→パイナップル)。
たまに珍出題をする。これ以降一番難しいお題を出すことは禁止になった)。
初ミスは、緑の動物と言うお題に対してなぜか「おくまさん」と答えてしまった(正解は前述のカメレオン、カエル、カメなど)。
一人だけ短パンをはいているため、指圧時太ももの毛をむしられることがある。
第9回はツボ押しされた時に短パンの裾が破れた。
第10回はゲストの一人、笑影殿に関連したお題で彼だけ呼び捨てにしたため、二回目はミス(ツボ係は無しで厳重注意のみ)となった(だがそれ以後、全てのメンバーが呼び捨てにするようになった)。
第15回には腹痛で遅刻した(本人曰くインフルエンザかノロウイルス感染したかも、と言っていた)。
□白佐衛門:矢部浩之〔7回〕(1回) (8回)
ヅラは「白影」を思わせる白髪交じりのもの。
初ミスは、緑の景色のお題に対して、黄色い景色のお題で言った「菜の花畑」を答えてしまった。
本人曰く、しりとり侍や数取団は得意だったがこれは非常に苦手とのこと。しかし、第2章になってからは、負け数は減っている。
赤兵衛曰く、「スッキリ!!」でいうテリー伊藤の立場らしい。
数取団時代と同様、目立った裏切りは少ない。
綱引きの時うっかり立ってしまい顔が汚れず怒りをかい、顔を粉にこすり付けられた。
最近は、他のスケジュールが忙しい為かん、遅刻が多い。
■緑吉:有野晋哉〔1回とおまけ1回〕(0回) (2回)
眼鏡を着用。青助曰くヅラセットが取れモニター越しに見ると「吉田照美」に見えるとの事。パーティー用の「鼻メガネ」とも。
初ミスは、緑のチーム→横浜ヴェルディと答えてしまった(正確には東京ヴェルディ)。彼が負けた時には「忍者全滅。」とテロップが出た(メンバーで最後のツボ係となったため)。
第10回では柳影殿がハゲの嫁はん軍団に指圧された後、負けていないにもかかわらずに、2007年6月9日放送同様の攻撃をおまけに食らった。
今までのしりとり侍や数取団では順番が武田のあとだったため負けの回数が多かったが、色とりになってからは極端に負け回数が減っている。
第20回ではメンバー初の欠席をした(退院はしていたが自宅療養中だったため)。
お題を出すときに丁寧語で言うのが特徴(料理→お料理など)。
■青助:岡村隆史〔3回〕(2回) (5回)
ヅラは「青影」ではなく(むしろ黄太郎が近い)大五郎風の髪型。
初ミスは、茶色い料理のお題に対して「ごぼうのおひたし」と答えるが、残念ながらその料理は有名ではないため(一応存在する)、アウトとなった。
文句を言うゲストがいるとそのゲストに対して「岡村先生(または色取先生)」としてお説教をする。
赤兵衛同様に、たまにゲストの裏切りを受けている。
第13回ではしばらく負けていなかったので、ハゲの軍団に指圧されている際「あいつ誰だったっけ?」と他のメンバーに名前を忘れられていた事が発覚。
第15回からは遅刻してきたメンバーに「帰れ?!」と言うようになった(後にこれはCOWCOW・多田健二のギャグと発覚)。
体重が軽い為、第2章では将軍のお仕置きを受ける際に遠く吹っ飛んでしまう。その時テロップには「ただ今の飛距離」として吹っ飛んだ長さが表示される。
■紫丸:武田真治〔1回〕(0回) (1回)
片目に眼帯をしている。彼だけは半袖で、マフラーを巻いていない。
初ミスは、茶色い果物というお題に答えが浮かばなかった。その後何度も粘ったが(ジュースにすると白い、干し柿は調理してある、ゼリーに入っていると、等)ついにはメンバーからうるさがられ、表面が茶色いため決まってしまった。ツボ係になった際は、ハゲの軍団にオプションサービスとして初めて電気あんまをかけられた。ミスはこの一度のみ。もっとも前回受けた罰から間隔が長い(緑吉は紫丸のあとに初ミス)。
数取団時代から引き続き、新規のお題や切り返しを出す事が多く、最初に「ブルーな気持ち」のお題を出したのも彼である。必ず1回の放送で1度は出る。最近はどのメンバーも「ブルーな気持ち」を出すようになったがそれでも一番多く出しているのは彼である。
14回目では、ツボ係が相撲を取るために、ツボを持っていたため、桃ハゲに帰る時に「ツボ返せ!」と言わんばかりにビンタを二発喰らった。
第15回からは、青助の顔に粉がついていることをいじるようになったが、上記のように言われ、青助から厳しい扱いを受けることになった。
答えが出るのが遅くても見逃される場合が多く、必ず答えが出る。
第16回と17回には遅刻をした(16回は入り時間を間違えて1時間、17回はわずか5分の遅刻で、家を出たのは早かったが渋滞に巻き込まれたらしい)。最近はメンバーで一番早くスタジオ入りする事が多い。

ゲスト
第3回からゲストが登場する。第1章では助っ人忍者と称し、衣装は白い忍者装束。ベルトには役名の頭文字が書かれている(一部除く)。順番は1人の時は紫丸と赤兵衛の間(一部除く)。第2章からは師範と呼ばれ、袴姿になる(ベルトの文字は助っ人と一緒)。

助っ人忍者
( )内はツボ係になった回数。

2007年1月6日 - SMAP一族:中影殿:中居正広(SMAP)(3回連続)
ベルトには「白」と書かれていた(紅白の白組司会者のため)、敗戦時に「河川敷のティッシュ」や「そうめん(揖保乃糸)」と呼ばれた。また、桃ハゲに耳元で「仲間由紀恵だ、バカヤロー」と囁かれていた。
3敗目にハゲの軍団の一瞬の隙を付いて、赤ハゲに電気あんまを喰らわすが、桃ハゲに持ち上げられ、回された後、橋の上に落とされる。
数取団から通算すると、この手のゲームは10戦1勝9敗である。
2007年3月10日の放送では、このコーナーはなかったが、このときの収録で白佐衛門が白い果物が答えられずにツボ係になっていたことが発覚。そのため、このときにツボ係7回目が追加された。
順番は赤兵衛→黄太郎→白佐衛門→緑吉→中影殿→青助→紫丸→赤兵衛
2007年2月10日 - まいう?流でぶや一族:内影殿:内山信二(2回)
スタッフ曰く「気楽に呼べるゲスト」であり(過去にも七人のしりとり侍(しりとり侍では2回出演)、数取団のゲストに呼ばれた経験がある)、冒頭で桃ハゲに対する挑発的な発言をしたためハゲの軍団にコテンパンにされ、桃ハゲとの後楽園ホールでの一本試合を催促される。片ひざ立ちができない。
2007年3月3日 - 石原流お天気一族:良影殿:石原良純(3回連続)
石原家の御曹司であるにもかかわらず、ハゲの軍団は容赦しなかった。3回目に眉毛のマッサージもされた(黄ハゲが担当)。
2007年4月14日 - 日9流メントレ一族:TOKIO殿(城影殿、山影殿、国影殿、松影殿、長影殿):城島茂(2回)、山口達也(0回とおまけ1回)、国分太一(2回)、松岡昌宏(1回)、長瀬智也(0回)
コーナー史上初めて大人数のゲストが呼ばれ、総勢11人の超大型戦となった。本放送の翌日からゴールデンタイムに移動する『メントレG』の番宣で登場。対決のきっかけは『メントレG』のコーナー「クイズ楽屋訪問」と本番組のコーナー「やべっち寿司」が同じタレントクロークでの撮影で収録場所の確保で争いが起きた事である。TOKIOの忍者装束の背中には『メントレG』と書かれていたが、国影殿だけ『オーラの泉』(2007年4月21日からのめちゃイケの裏番組)と書かれていた。ゲーム開始時には『メントレG』と書かれたガムテープを貼って修正されたが、それでも文句を言っていたため色取先生から怒られる。その後の2敗目の際、初の「矢文」の犠牲者となり、その中に描かれていたのは番組収録終わりのプライベート画像であった。城影殿は潜入其二の開始直後にお題が言えず、メンバーから同情されてノーカウントになった。その後の2敗目の時、カツラとメガネを被され『ザ!鉄腕!DASH!!』でおなじみの城島茂子になっていた。山影殿は失敗した際、足を押さえ靭帯を切ったと言い、失敗をノーカウントにしている(その直後に失敗した青助も同様の手口で失敗をノーカウントにしている)。しかし桃ハゲとのエキシビジョンマッチをやらされエルボーで応戦するも、あっさり倒された。長影殿は「メンバーで一番ミスしやすいのではないか」と心配されていたが、メンバーで唯一ミスをしておらず、ツボ押しされていない。
順番は赤兵衛→城影殿→黄太郎→松影殿→白佐衛門→山影殿→緑吉→国影殿→青助→長影殿→紫丸→赤兵衛
2007年4月28日 - ゲゲゲ流妖怪一族:鬼太郎殿:ウエンツ瑛士(WaT)(2回)
放送当日に公開された映画『ゲゲゲの鬼太郎』の宣伝で登場。肩には目玉おやじが乗っていて、担当声優である田の中勇が同時進行で声を担当していた(CMに入る際の提供読みも担当した)。目玉おやじ自身、本当は『SMAP×SMAP』(通称スマスマ)に出たかったらしい(オープニングで)。息子の鬼太郎が2度もミスをした(妖怪なので、ツボ押しされても痛くないはずなのだが、鬼太郎殿は相当痛がっていた)ため、最後は目玉おやじ自身がゲームに参加し、見事な裏切りで赤兵衛を負かした。
2007年6月16日 - どさんこ流欧米一族:タカ影殿アンドトシ影殿:タカアンドトシ(タカ(2回)・トシ(1回))
ベルトが2文字になっている。それぞれ、「タカ」・「トシ」になっていた。(別人と勘違いするため)
タカ影殿は開始そうそうボケまくっていた。また、タカ影殿の忍者装束の背中には、普段着ているシャツにも描かれているライオンのキャラクターがプリントされていたが、2回目のツボ係の際にハゲの軍団に落書きされた。ちなみに、タカアンドトシはめちゃイケの前時間番組『IQサプリ』にゲスト解答者として出演していた。
順番は赤兵衛→黄太郎→白佐衛門→緑吉→トシ影殿→青助→紫丸→タカ影殿→赤兵衛
2007年7月7日 - 関東お笑い流太田プロ一族:笑影殿・彦影殿・柳影殿:笑福亭笑瓶(1回)・彦摩呂(1回)・柳原可奈子(1回)
笑影殿はモノマネを無理矢理やらされスベった挙句、黄色いメガネのお題で、黄太郎(本人に尊敬の念はないらしい)を発端に出演者全員から「笑瓶」と呼び捨てにされるなど、最後まで不遇な扱いを受けた。
柳影殿はスタート時に持ちネタの「カリスマ店員」を出し、紫丸の失敗(お題の答え自体は当たっていたためノーカウント)のときは「総武線の女子高生」で紫丸と即興でコントをやり、加えてネタにない「給食のオバチャン」を即興で演じた。
順番は赤兵衛→黄太郎→白佐衛門→緑吉→彦影殿→青助→柳影殿→紫丸→笑影殿→赤兵衛
2007年7月21日 - FNS流27時間テレビ一族:孫悟空殿:香取慎吾(SMAP)(3回)
本放送の翌週に放送される『FNS27時間テレビ みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!』の番宣で登場。悟空殿はオープニングにて、山本事件で落ち込んでいた赤兵衛に対し、マネージャー経由で携帯番号を調べて励ましの言葉をかけていた事を自ら明かした。さらに赤兵衛が感激して泣いていた事を明かした後、赤兵衛はメンバーらに「『スッキリ!!』以外で泣いた」とネタにされていた。また、ゲーム直前に「忍者のことなら任せるでゴザル!」とハットリ君を演じる場面もあった。肝心のゲーム内容は凡ミスを連発し、最後にハゲの軍団に立ち向かおうとしたが桃ハゲのビンタによる返り討ちを遭いあえなく撃沈。
数取団から通算すると、この手のゲームは9戦中2勝7敗である。
3回敗れたため「矢文」を突きつけられたが、その中に描かれていたのは伊藤淳史とは別の人物が猪八戒に扮した西遊記一行だった。他の忍者、とりわけ赤兵衛が異様な反応を見せたところによると、扮していたのはかの人物のようである。
2007年8月18日 - 外国人流タレント一族:ボビ影殿・弟影殿・ヘリョ影殿:ボビー・オロゴン(4回連続)・アンディ・オロゴン(0回)・チョ・ヘリョン(0回)
ボビ影殿はツボ係1回目の時に、桃ハゲに立ち向かい覆面を取ろうとしたが、1対5であるために敗北(その後仮面を取ろうとしたことから桃ハゲに叩かれた)。その際には他のメンバーに「ビリー(ビリー・ブランクス)」と呼ばれていた。それ以降不遇な扱いが続き、ヘリョ影殿が赤い飲み物というお題を「血」(韓国では健康のために鹿の血を飲む習慣があるため)と答え、一旦中断した際、なぜか壺を持ったため強制的にツボ係(2回目)にされた。また、弟影殿が負けても、ボビ影殿にツボを押され(ツボ係3回目)、さらに桃ハゲには壷で6発(2回目1発+3回目5発)も殴られた。
4回ツボ係(2、3回目は強制だが)となったため「矢文」を突きつけられ、内容はナイジェリア語の暴露文で、意味はボビ影殿が奥さんに内緒で、大阪のキャバクラでコンパ(つまり浮気)しているという意味であることが発覚した。
順番は赤兵衛→黄太郎→白佐衛門→弟影殿→緑吉→青助→ヘリョ殿→紫丸→ボビ影殿→赤兵衛
2007年9月8日 - 新婚流嫁は紀香一族:陣影殿とその同期(たむ影殿):陣内智則(1回)・たむらけんじ(2回)
たむ影殿はオープニングではサングラスと褌をはずし忍者装束を着ていたが、ゲームが始まるといつもの格好に着替えた。
陣影殿はツボ係になった際は、ハゲの軍団がコブクロの『永遠にともに』のリズムに乗って登場し、祝福のマッサージをされるが、桃ハゲのジェラシーがあったため、結局ツボ押しされた。
最後にたむ影殿に矢文が届き、その内容に同期の陣影殿だけが知る、たむ影殿の過去の彼女が描かれていたため、たむ影殿は永遠に封印しようと、矢文をセットのろうそくの炎で燃やした。が、本人がやけどをしてしまった。
順番は赤兵衛→黄太郎→白佐衛門→緑吉→陣影殿→青助→紫丸→たむ影殿→赤兵衛
2007年10月20日 - イケメン流クローズ一族:小栗殿・高岡殿:小栗旬(1回)・高岡蒼甫(1回)
『クローズZERO』の宣伝のため、不良の格好で登場。本来出演を希望していた『数取団』終了の理由を尋ねてきたため、赤兵衛に「お察しなさいよ!」と言われ、さらに理由を尋ねた際には「YouTubeで見りゃわかるだろうが!」と言われる。
この回はハゲの軍団の用心棒として関取団のリーダーだった火の竜が出演、ハゲの軍団に代わって罰ゲームを担当した。小栗殿は相撲の際に火の竜にパイズリ(顔を火の竜の胸に押し付けられた)をされた。高岡殿はその二の舞を避けるため背中から向かって行ったが、火の竜に持ち上げられ、赤ん坊プレイをさせられたうえに、橋から突き落とされそうになった。
また赤兵衛と組み合った際にカツラが外れスキンヘッドであった事が暴露された事と数取団終了後、1年以上めちゃイケ出演の機会が無くなった原因が元相方にある事もあり赤兵衛に対する怒りが爆発、カツラが取れた後赤兵衛をセットの火に近づけさせ、耳元で「お前のせいだ!」と大激怒した。全体的にはゲストの二人よりも火の竜が目立っていた印象が強い。
ちなみに本コーナー終了後の『め安箱』において光浦靖子に対し高岡殿の妻に対する質問が寄せられたが光浦がブサイク顔を披露したため、答えずに強制終了となった。
順番は赤兵衛→黄太郎→白佐衛門→緑吉→高岡殿→青助→紫丸→小栗殿→赤兵衛

師範代
2008年1月5日 - 水9流ザ・ベストハウス一族:淳影殿・亮影殿:ロンドンブーツ1号2号(田村淳(1回)・田村亮(2回連続))
淳影殿はめちゃイケ本放送初出演だったが、27時間テレビ内「真夜中の大かま騒ぎ」で女性関係を暴露されたことなどから出演を渋っていたことが発覚し、青助に「マーボー豆腐は飲み物です」と言われる始末であった。さらに秘伝の書にて某女優との密会写真を公開され、メンバーと亮影殿に胴上げされた挙句粉に放り込まれた。
順番は赤兵衛→黄太郎→白佐衛門→緑吉→亮影殿→青助→紫丸→淳影殿→赤兵衛

2009年01月17日

アトランティス (Ατλαντίς, Atlantis)

アトランティス (Ατλαντίς, Atlantis) は、古代ギリシアの哲学者プラトン (紀元前427頃?347頃) が著作『ティマイオス』 (Тίμαιος, "Timaios") 及び『クリティアス』 (Κριτίας, Kritias)) の中で記述した、大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、そこに繁栄した王国のことであり、強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。

デッド トリーニ タンク ジョブ ドン カール スモッグ トレーパッ オール 豊の国 チョッパ ナビ男爵 チェリモヤ チロシン ジャーニー バラモン サイン えさん ミリメシ アカシア きんぱく リべリ サンサ シパール 時遊館 ティビティー シャクナゲ セーフ フューチ ナルシス スルピリド タウポ リンク デジカメ くんかく リラ リアクン ジェンダー ドラフト ユニコード モアレ ルナリア ドリル プーリ オルガ ライトバン サーチ霊芝 愛の技 セロット ミッド

1882年、アメリカの政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー (Ignatius Loyola Donnelly, 1831?1901) が著書『アトランティス―大洪水前の世界』 (Atlantis, the Antediluvian World)を発表したことにより謎の大陸伝説として一大ブームとなり、更にオカルトと結びつくことで多くの派生研究を生んだ。

本来古代ギリシア語の『アトランティス』という単語は、ギリシア神話のティタン族の神であるアトラス (’Ατλας, Atlas) の女性形であり、『アトラスの娘』、『アトラスの海』、『アトラスの島』(古代ギリシア語の『海』(タラッサ, θάλασσα)や『島』(ネーソス, νη?σος)は女性名詞)などを意味する。

アトラス神
アトラスは (1) 『支える』を意味する印欧祖語のdher-2(英語のholdに相当)に由来する (2) ベルベル諸語の単語が元で、ベルベル人のアトラス山脈への信仰に由来するなど、その語源には諸説ある。アトラス神への言及はホメロス(紀元前9?8世紀頃に活躍)の『オデュッセイア』が初出で、「大地と天空を引き離す高い柱を保つ」と謳われている。(Hom.Od.i.52) 一方、ヘシオドス(紀元前700頃に活躍)の『神統記』以降は、ティタノマキアにおいてティタン族側に加担した罪で、地の果てで蒼穹を肩に背負う姿として叙述されるようになり、フルリ人やヒッタイト人の神話に登場するウベルリの影響を受けたものと考えられている。また、アトラスが立つ地の果ての向こうの大洋には島があり、ニュクス(夜)とエレボス(曙)の娘達とされるヘスペリデスが、ゴルゴン族の傍らで黄金の林檎を守っているとされ、(Hes.Theog.213?216,275?280,517?521) 後にアトラスの娘達として知られるプレイアデスやアトランティデスなどと同一視されるようになる(Diod.iv.27.2; Paus.v.17.2,vi.19.8)。

大西洋、アトラス山脈とアトラスの名前を冠する諸民族
プラトンの対話集に先立ち『アトランティス』は大西洋を意味する地名として使われている。ヘロドトス (紀元前484頃?420頃)は『歴史』の中で大西洋を「アトランティスと呼ばれる柱の外の海」と記述した。(Herod.i.203.1) 以降大西洋は今日に至るまで「アトラスの」海、大洋(ラテン語: Atlanticum Mare; 英語: the Atlantic Ocean)と呼ばれるようになる。

またヘロドトスはアトラス山脈について始めて言及しているが、山脈としてではなく単独の雪山としてリビア内陸のフェザン地方にそびえているものとして記述し、その山麓の砂漠に暮らす、日中の太陽を呪い、名前を持たないアタランテス人 (’Ατάραντες, Atarantes) と、肉食をしないために夢を見ないアトランテス人 (’Άτλαντες , Atlantes) に触れている。(Herod.iv.184?185)

シケリアのディオドロス (紀元前1世紀に活躍) は『歴史叢書』の中で、アフリカの大西洋岸 (モロッコ西岸) に聳えるアトラス山と、その麓でギリシア人並の文明生活を送っているアトランティオイ人 (’Ατλάντιοι, Atlantioi) について記載している。アトランティオイ人の神話によると、ウラノスがアトランティオイ人に都市文明をもたらし、その後ティタン達が世界を分割統治した際にアトラスが大西洋岸の支配圏を得たが、アトラスはアトラス山の上で天体観測を行い、地球が球体であることを人々に伝えたという。また、アトラス王は弟ヘスペロスの娘ヘスペリティスと結婚して7人の美しい娘達(ヘスペリデス、アトランティデス)の父となり、エジプトのブシリス王の依頼を受けた海賊に誘拐されてしまった娘達をヘラクレスが救った際に、その礼としてヘラクレスの最後の功業を手伝ったのみならず、天文の知識を教えたが、これがギリシア世界でアトラスの蒼穹を担ぐアトラス伝説へと変化してしまったという(iii.56?57,iii.60?61,iv.27)。

ストラボン (紀元前64頃?紀元23頃) の『地誌』においては、アトラスはマウレタニアの山脈として認識されるようになり、ベルベル人はデュリス山脈 (Dyris) と呼ぶと紹介している。また、ストラボンは、ジブラルタル海峡以西のアフリカ沿岸世界については、古来より嘘にまみれた様々な創作のせいで、真実の報告を見分けるのは難しいとも述べている(Strabo.xvii.3.2(p.825?826))。

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス, 23?79)の『博物誌』は、歴史家ポリュビオス(紀元前200頃?118頃)や クラウディウス帝時代のローマの遠征軍がマウレタニアで得た知識を元に、現地の言葉でディリス山脈 (Diris) とも呼ばれるアトラス山脈の地理を詳しく記述しており、古典時代のギリシア人の北西アフリカにおける不正確な地理的知識は、当時この地との交易を支配していたカルタゴ人の航海者ハンノ(Hanno, 紀元前5世紀頃)以来、さまざまな空想の混じった伝聞が流布してしまったことによるものと指摘している。(Plin.Nat.v.2?5(s1))[1] アトランテス人に関してはヘロドトスのアタランテス人の特徴と混ぜて引用し、リビアの砂漠の奥に住むと記述している。(Plin.Nat.v.14(s4)) また、ポリュビオスの報告として、アフリカのアトラス山脈の大西洋側の末端の山の沖合いに、ケルネ島とアトランティス島があると記述している。(Plin.Nat.vi.60(s36))

ポンポニウス・メラ(Pomponius Mela, 1世紀に活躍)は『世界地理』の中で大西洋岸に面したアトラス山を紹介し、(Mela.iii.101(s4)) また、リビアの内陸に住むアトランテス人についても、ほぼ大プリニウスと同様の内容を記述している。(Mela.i.23(s1),i.43(s2))

クラウディオス・プトレマイオス(90頃?168頃)は『地理学』の中で、アトラス山脈の大西洋側の末端に相当する岬の山として、大アトラス山(経度8°北緯26°30′[2])と小アトラス山(経度6°北緯33°10′)について座標を与えている。(Ptol.Geo.iv.1.2)

パウサニアス(Pausanias, 2世紀に活躍)の『ギリシア案内記』はリビアの砂漠の中に住む民族としてヘロドトスのアトランテス人を引用し、この民族は大地の広さを知っており、リクシタイ人 (Λίξιται, Lixitai) とも呼ばれることを記している。また、砂漠の中のアトラス山からは3つの川が流れ出るが、全て海へ流れ込む前に蒸発してしまうという。(Paus.i.33.5?i.33.6(s.5))

プラトンのアトランティス伝説

作品構想と背景
『ティマイオス』と『クリティアス』は、プラトンがシュラクサイの僭主ディオニュシオス2世 (Dionysios, 紀元前390頃?330頃) の下で理想国家建設に失敗した後、晩年にアテナイで執筆した作品と考えられている。両作品はプラトンの師匠である哲学者ソクラテス (紀元前470頃?399)、プラトンの数学の教師とも伝えられているロクリスの政治家・哲学者ティマイオス (紀元前5世紀後半)、プラトンの曾祖父であるクリティアス (紀元前500頃?420頃)[3]、そして、シュラクサイの政治家・軍人ヘルモクラテス (紀元前450頃?408/407) の4名の対談の形式で執筆されている。『ティマイオス』では主にティマイオスが宇宙論について語り、『クリティアス』では主にクリティアスが実家に伝わっているアトランティス伝説について語っている。ヘルモクラテスは一連の作品群で語りの役割を果たしていないが、作品中ソクラテスによって第三の語り手と紹介されていることから、(Pl.Criti.108a) アトランティスとアテナイの間の戦争に関して軍人ヘルモクラテスに分析させた、『ヘルモクラテス』という作品が構想されていたという説が、プラトンの対話集の英訳で知られる英国の古典学者ベンジャミン・ジャウエット (Benjamin Jowett, 1817-1893)などにより提唱されている。[4]

クリティアスの家で行われたとされるこの対談が現実のものであったとするのなら、ニキアスの和約が成立した紀元前421年8月頃のパンアテナイア祭りの最中で、(Pl.Criti.21a) クリティアスの孫のプラトンはまだ6歳の少年としてこの話を横で聞いたということになる。また、対談には病気で欠席した人間がいることになっている。[5](Pl.Criti.17a)

核となる伝説は、アテナイの政治家ソロン (紀元前638頃?559頃) がエジプトのサイス (Sais) の神官から伝え聞いた話を親族にして友人のドロピデス(Dropides, 紀元前6世紀前半頃) に伝え、更にその息子のクリティアス (紀元前580頃?490頃) が引き継ぎ、更に同名の孫のクリティアスが10歳の頃に90歳となった祖父のクリティアスからアパトゥリア祭 (Apaturia) の時に聞かされた事として、対話集の中で披露されている(ソロンとクリティアス、プラトンの血縁関係はクリティアス (プラトンの曾祖父)参照)。(Pl.Tim.20d?21e) 作中の神官によると、伝説の詳細は手に取ることのできる文書に文字で書かれていることになっている。(Pl.Tim.24a) ソロンはこの物語を詩作に利用しようと思って固有名詞を調べたところ、これらの単語は一度エジプトの言葉に翻訳されていることに気付いた。そこでソロンはエジプトで聞いた伝説に登場する固有名詞を全てギリシア語風に再翻訳して文書に書き残し、その文書がクリティアスの実家に伝わったという。(Pl.Criti.112e?113b) ソロンは結局帰国後も国政に忙しかったため、この伝説を詩にまとめるこができなかったとされる。(Pl.Tim.21c?21d)