トルン(Toruń、ドイツ語:Thorn)は、ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置する工業都市の都市で、クヤヴィ=ポモージェ県の県議会所在地。1998年までは旧トルン県の県都であった。1997年に旧市街が世界遺産に登録された。
トルンはブィドゴシュチュからヴィスワ川を遡り東南東に40kmほどのところにある。2003年にはブィドゴシュチュ医科大学がトルン大学に統合された。2006年10月16日、フジテレビ系の番組「あいのり」で旅したものを放送した。
1226年の記録には「Thorn」として登場し、1466年ごろの文書には「Thorun」、「Turon」、「Toron」、「Turun」、「Thoron」などという名で記述されていて、15世紀以降は現在のポーランド語名称「Toruń」となっている。 トルンの名称の起源についてはいくつかの説がある。
十字軍によって樹立されたエルサレム王国に「Toron」という町があり、この名に由来した「Thorn」という町をチュートン騎士団がかつてトルンがあった場所(古トルン)の近くに建設した。
ポーランド語で「道」、「軌道」あるいは「(水の)流れ」を意味する「tor」に由来する。つまり「流れ(沿い)の町」、「ヴィスワのほとりの町」を意味する。
「Toron」という人物の名前に由来している。つまり、「Toronの町」を意味する。
「tarnina(りんぼく)の町」を意味する「Tarnów」に由来する。Tarnów という名の町はポーランド各地にある。これがのちにドイツ語化して「Thorn」となり、ふたたびポーランド語化されて「Toruń」となった。
北欧神話の神、トールに由来する。
しかし、「Toruń」にも「Thorn」にも語源的意味はないとする主張もある。
チュートン騎士団はトルンの名をたいてい「Thorun」と綴り、のちにトルンがポーランド王国領に入るとラテン語での文書には「Thorun」、「Thorunium」、「civitas Thorunensis」、「civitas Torunensis」と記述されるようになった。その後「Thorn」となり、第二次世界大戦後にポーランド領に復帰すると、公式な名称は「Toruń」になった。
歴史 [編集]
紀元前12?11世紀 ? ラウジッツ文化時代に要塞として建設
8世紀?12世紀 - ヴィスワ川の渡し場の近くに存在
1230年 - 古トルンに要塞が建てられる
1233年12月22日 ? 都市としての権利を獲得
1236年 - 現在トルンがある場所へ移動
1264年 - 新市街の建設
14世紀?15世紀 - この時期トルンは大いに発展して重要な商業中心地となり、ポーランドで最大規模の都市のひとつとなる。
1410年 - タンネンベルクの戦い。ドイツ騎士団、ポーランド・リトアニア連合軍に対し大敗を喫する。
1411年 - 第一次トルンの和約。ドイツ騎士団とポーランド・リトアニア連合が和約。
1440年 - プロイセン同盟に加盟。
1454年 - ドイツ騎士団に対する新教徒の反乱をきっかけに、三十年戦争が始まる。 騎士団の城を破壊し、新市街と旧市街を連結する
1466年 - 第二次トルンの和約 。ドイツ騎士団を含むプロイセンが事実上ポーランド王国支配下に入る。
1473年 - ミコワイ・コペルニク(コペルニクス)がトルンで生まれる
1500年 - 聖ヨハネ大聖堂に「Tuba Dei」の鐘が吊るされる。
16世紀 - 住民の大半がプロテスタントに改宗
17世紀 - スウェーデンとの北方戦争で街が荒廃する
1724年 - 「トルン騒動」が起きる
1793年 - プロイセンに併合される
1807年 - ティルジット条約によりワルシャワ公国に編入
1815年 - ウィーン会議の決定によりふたたびプロイセン領になる
1919年 - ポーランド領に復帰
1939年 - ドイツの占領を受ける
1945年 - ポーランドの独立回復。大学を誘致
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地理 [編集]
ワルシャワからの距離はおよそ180kmで、ヴィスワ川の中流に位置する。